新しい贈与論は、むしょく大学(一般社団法人キャリアブレイク研究所)に90万円の寄付を行ないました。
新しい贈与論では毎月会員の投票により宛先を決定する共同贈与を行なっています。今月は「アディクション」をテーマに推薦を募集し、「Center for Humane Technology」「むしょく大学(一般社団法人キャリアブレイク研究所)」「しずかなインターネット」の3候補があがり、上西雄太・村瀬昌礼の推薦したむしょく大学(一般社団法人キャリアブレイク研究所)が最多表を得ました。
推薦文は以下の通りです。
https://mushoku-daigaku.studio.site/
今回のテーマである「アディクション」は治療の対象だと捉える向きもあるが、実際にはもっと連続的であり、意外と身近なものだと思う。
アディクションといっても、自分の意思でやめられない状態は必ずしも悪ではない。誰しもが何かに熱中し、寝食を忘れて取り組むことはあるだろう。さらに、魅力的なコンテンツで溢れる現代社会において完全に「やめる」ことは難しく、二元論的なアディクションの捉え方は現代的でないと言えるのではないか。
お酒・タバコ・ギャンブルはやめても問題にはならないだろうが、仕事や買い物を「やめる」ことは難しい。度が過ぎるとワーカホリックや買い物依存となるが、完全にやめるのではなく適度に関わる必要がある。
そんな裾野の広い「アディクション」において、今回はほとんどの人が付き合わざるを得ない「仕事」に焦点を当てた。
推薦人の一人はまさに、仕事にのめり込みすぎてバーンアウトした経験を持つ。その後の回復や仕事との適度な付き合い方においては、努力ではなく、むしろ一歩引いた休み・振り返りが重要な意味を果たした。ワーカホリックの対極に身を置くことで、仕事への依存状態を捉え直したのである。
今回の推薦先の「むしょく大学」は、職業人生において仕事から一時的に離れ、立ち止まる文化を創出している。
「供養学部」は焚き火を囲んだ供養やジャーナリングを通して、立ち止まって振り返る機会を生み出している。「自由研究学部」は立ち止まった先で改めて何をしていくのかを考える場となっている。これらの取り組みは、ともすると断絶なくキャリアを構築し続けることが正義だとされるような、アディクションに染まった労働社会に対する問いかけでもあると思う。
また、アディクションが空虚感を埋めるための反動として生じるものだとすると、労働における空虚感とはまさに無職の状態だと捉えられる。むしょく大学は空虚だと捉えられがちな無職の状態を前向きに捉え、充実した余白の時間を生み出している。
近年、早期にリタイアする"FIRE"も盛り上がっているが、リタイアしても生活の充実のためにまた働き始める方もいるなど、「仕事」との付き合いは0か100かでは捉えられない。労働が人生の豊かさや幸福度に及ぼす影響は自身の意思や論理だけでは測りきれないからこそ、労働に対して曖昧な状態でいてもいい場を提供している「むしょく大学」の活動を応援したい。
投票にあたり会員よりあがった理由の一部を抜粋し紹介いたします。
もし私が今熱中している仕事、例えば考えることや読むことをえいやと手放したら、どんな毎日に切り替わってしまうのだろう、どういう私になっていくのだろう、それの代わりに何かで埋められうるのだろうか、とふと考えてみた。この仕事は別に与えられたものではないし、望んだものでもない、でも仕事のうちだからとしがみついていただけかもしれない。手放した日々はきっとそうつまらなくはない。数日はキャンプとかボランティアに勤しんでいるかも。怠慢か勤勉、あるいはその先の狂気に近い熱中か、そういう枠でしか感じられない日々ならいっそ手放してみたほうがいいかもしれない。そういう私でもいいのかもしれない。そういう取るに足らなさで私を埋めてみて、恢復を目指すのではなく、そのうちに過ごせるような感性とその時間にじっくり向き合ってみてもいいのだろう。というか、結局考えちゃって『暇と退屈の倫理学』を取り出して読んじゃってるじゃないか。これじゃあ手放してみないとな。無職も無色も大歓迎な大学に1票、幸あれ。(土田亮)
推薦人です。今回のテーマであるアディクションは生きる上で少なからず付き合っていくものであり、特にほとんどの人が生涯を通じ付き合っていく「仕事」を題材とした団体を推薦します。このようなアディクションから一歩引く(でも拒絶するわけではない)、余白のような場がもっと増えていくことを願っています。(上西雄太)
むしょく大学、知らなかったのですが、取り組みとしてとてもいいと思いました。お悩み相談を仕事でやっていると、どっぷり身を置いていた仕事を辞めたあとの宙ぶらりん期間の不安感は、とても切実だと感じます。そして、そういった状態の不安感は同じ状況の人と共有することで和らぐだろうと思っていたので、むしょく大学のコンセプトはまさに!と思いました。サイトも柔らかく、キャリアブレイク中の人にぜひおすすめしたいと強く思ったので投票します。(佐伯ポインティ)
どんな職業にも「サバティカル」ってあったらいいなと思っていた。むしょく大学はまさにそんな試みかなと。離職、求職に過剰な意味付けをせず(ネガティブ、ポジティブ両面で)、フラットにとらえているところが脱アディクションにつながるように思いました。(中嶋愛)
むしょく大学、入学したいです。(吉見新)
第一希望の「むしょく大学」は、極めて個人的な理由ですが、昨年度1年間次男のために育児休業を取った経験があり、この団体が提案していることや、キャリアと人生の残り時間について自問自答する時間を持つ機会があったことから選ばせていただきました。僕は大学教員にサバティカル休暇というものがあることを知り、期間限定のキャリアブレイクに至りましたが、一般的になかなか踏み出せる一歩ではないこと、今年度現実に戻り生活のために以前より勤務時間や職掌範囲を見直す形で復帰しているため、理想だけではないことは十分理解していますが、スモールステップとしてでもこのような場があることに意義があるとは考えます。(高橋涼)
自分自身が仕事中毒的なところがあるので、いつか通ってみたい、やってみたい場所として、むしょく大学を選びました。こういう活動、ぜひ続けてほしいですね。(山田泰久)
むしょく大学は初めて知りましたが、大変興味深い活動だなと思いました!(鈴木弘人)
キャリアの断絶に寛容的ではない社会のありかたに以前から個人的に疑問を感じており、むしょく大学の活動を応援したいと思った。(高城晃一)
「はたらく」をアディクションととらえる目線は斬新だが的を得ていると感じた。キャリアに空白を作らない、とかキャリアパーソンとしての承認欲求に縛られて、本来の自分にとって心地の良い生き方、社会とのかかわり方を考えるきっかけとして意義のある活用ではないかと感じた。(中村研太)
仕事を離れられないアディクションから解放されて、ポジティブな選択が可能な社会を願い、応援したいです!(古賀翔子)
ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし
傘もこんなにたくさんあるし
岡本真帆
歌集『水上バス浅草行き』より
バタイユの「喫煙する者は…一瞬だけ、行動する必要性から解放される」ということばに慰められました。仕事でつらいときとは、「行動する必要性」が「自分の行動」を常に上回っているときだと思います。その時間が長いほど、休んでいるときでも、常に追いかけられている気がします。
仕事よ。人生の時間はお前にくれてやる。代わりにだれか「雲のような自由と怠惰」をください。さあ、残業だ。(前田ひろし)
『むしょく大学』というネーミングに、最初抵抗ございましたが、【「仕事」との付き合いは、0か100かでは捉えられない。】という推薦文に心打たれ【立ち止まる文化✨】魅かれました。(せたゆうか)
無職であることへのスティグマを薄めさせることが、誰かを救うことにつながると思い、むしょく大学を1位とします。(市村彩)
人は仕事をし続けるものであるという暗黙の認知に対して疑問を投げかけ、キャリアの中で立ち止まるという第3の選択肢を示唆している点で、仕事に取り憑かれた現代人にとって価値ある斬新な取り組みだと感じる。むしょくという余白の時間を通して人生を見つめ直し、仕事というアディクションとの距離を測ることを通して、人々を健全な精神状態に導き得る提案だと思える。(村瀬昌礼)
無職の時の寄るべなさから「むしょく大学」の投票に傾きました。みなさんの意見であった「無職でいられない社会」「意味へのアディクション」についても議論を尽くされることを期待します。(神崎)
立ち止まる、振り返る、再出発する。それが怖いからますます「アディクション」の深みにはまっていく。それによって傷つき、「アディクション」から外れざるを得なくなると、ある種のスティグマの烙印を押さえれてしまう(=色がつく)。「むしょく」大学は、「無職」であると同時に、「無色」化するという意味合いも込められているのではないかと、感じた。(嶋田暁文)
仕事への過度な依存から離れ、暇を取り戻す。そんな空間づくりに惹かれました!(中川瞬希)
それぞれの団体の活動内容、アディクションという言葉の意味についてずいぶん悩みましたが、ぐるぐると思考が回った結果、推薦人の推薦文にも「そんな裾野の広い「アディクション」において、今回はほとんどの人が付き合わざるを得ない「仕事」に焦点を当てた」という表現がありましたが、お酒やギャンブル、SNSのように分かりやすいものではなく、自分を含めて多くの人が無意識に「アディクション」状態にあるのではないかと思い推薦します。(石田篤史)
ただ「休もう」というだけでなく、仕事のアディクションに対して、立ち止まって考える場所が必要だと思い、一票を投じます。(桂大介)
離職/休職をなんだかユーモラスな、軽いものとして眺めてみる、自分から仕事というアイデンティティを剥がしてみる、という感じがとてもいいな、と思いました。(加藤めぐみ)
無職になっても何かに所属したいという気持ちがあるとすればそれは皮肉なこととも思う一方、そうまでしないと「働いている人としてのアイデンティティ」を断ち切るのはワーカホリックにとって難しいと自分自身も実感します。休職することって清水の舞台から飛び降りるのと同じくらい怖いことのように思える。自分も1年会社を辞めて留学した時は、アイデンティティクライシスに陥って本当につらかったです。全く何者でもない自分。そんな人がまず「休職」の世界をのぞくきっかけを作れるなら意義があるのではないかと思いました。
新しい贈与論は今後も共同贈与という形の寄付を毎月続けて参ります。ご興味のある方はぜひご参加ください。
運営
法人名 一般社団法人新しい贈与論
代表理事 桂大介
設立 2019年8月1日
ウェブサイト https://theory.gift
連絡先 info@theory.gift
メディアキット ダウンロード
「新しい贈与論」は寄付や贈与についてみなで学び、実践してゆくコミュニティです。オンラインの交流をベースに、時折イベントや勉強会を開催します。個人主義や交換経済が蔓延り、人間や人間的関係がますます痩せ細ってゆく現代において、今一度、贈与という観点から社会について考え行動する場をつくりたいと思います。