新しい贈与論は、認定特定非営利活動法人健康と病いの語りディペックス・ジャパンに万円の寄付を行ないました。
新しい贈与論では毎月会員の投票により宛先を決定する共同贈与を行なっています。今月は「アイデンティティ」をテーマに推薦を募集し、「認定特定非営利活動法人健康と病いの語りディペックス・ジャパン」「国際人権NGO反差別国際運動」「特定非営利活動法人芸術家と子どもたち」の3候補があがり、古川哲・漢那宗泰の推薦した認定特定非営利活動法人健康と病いの語りディペックス・ジャパンが最多表を得ました。
推薦文は以下の通りです。
認定特定非営利活動法人 健康と病いの語り ディペックス・ジャパン
アイデンティティを構築するということは、自分の身に降りかかった偶然に対して、「語り」にすることによって、自分の一部にすることなのかもしれません。
疾病にかかわる方の「語り」を通じて、社会として疾病に向き合う取り組みを行っている団体を推薦します。
今回推薦するディペックス・ジャパンは、病気にかかわる方の「語り」を集めて、インターネット上で公開しているNPO法人です。
2001年に、イギリスの臨床薬理学者であるヘルクスハイマー博士らが自身の病気経験をきっかけに、疾病体験の語りをネット上に公開する活動「ディペックス(DIPEx:Database of Individual Patient Experiences)」をはじめました。ディペックス・ジャパンは、この活動をモデルに日本版のデータベースを構築しました。
本法人が収集する「語り」の特徴は、その温度と細やかさにあります。
温度とは、通常であればカットされがちな言い淀みなどを残し、語り手の語りを出来る限りそのまま伝えようとする姿勢です。
細やかさとは、一つの病気を、その単体として捉えるのではなく、診断、治療、症状との付き合い方、家族としての受け止め方など様々な切り口、視点からの語りに触れることが出来る点です。
「痛みを感じているのは私なので、私にしかわからないっていうことです。……なので……、痛みが共有できないし……、理解されないし……、私だけが、感じている。」
これは慢性的な痛みを持っている方の語りです。
「わかりあえなさ」を語ることは「わかりあえない」ことを共有すること。わかりあえないからこそ、それぞれの「語り」をアーカイブすることは、その病気に対する解像度を引き上げ、理解をより重層的なものにするでしょう。
おそらく病気になった方の多くが「なぜ自分が」「自分の何が原因だったのか」と答えの出ない自問自答を行い、それ以前の自分を喪失した感覚を覚えることでしょう。
同じ症例で同じ悩みを抱えている他者を知ることで、その自問自答と折り合いをつけ、病気になったことも含めて「自分」だと「語りなおす」ことが出来るきっかけになると思います。
経験は本来、主観的なものですが、「語り」によって語り手は、自らの経験を無償で差し出します。これは対価を求めない贈与であり、聞き手はやがて自らの物語として他者に語ることで、贈与の循環を生み出す取り組みでもあると思います。
投票にあたり会員よりあがった理由の一部を抜粋し紹介いたします。
個人的に受けたいサービスや内容だったため(岡澤隆佑)
誰かの「語り」は非常に大事なことだと思っているからです。(佐藤みちたけ)
病やそれによる痛みは個人的なもので誰とも分かち合うことはできないという点でアイデンティティの一部といってもいいと思います。しかし同じ病の者を持つ者同士の交流は私の痛みを私たちの痛みにすることで癒しの回路を開きます。自身も病を患っていた時にもっとも慰められたのは見知らぬ同病の人たちの言葉でした。(中嶋愛)
ディペックス・ジャパンのウェブサイトに「予期せぬ病気になったとき、同じ病気を経験した人の話を聞きたいと思ったことはありませんか?」と書かれています。「言われてみれば・・・」と目を開かされました。利害関係のある誰かが意図をもって切り取ったかもしれない体験談(この治療を選んでよかったとか、この病院がどうだったとか)ではなく、自分に対するアドバイスでもなく、丁寧にインタビューされた語りのデータベース。イマココにはいない人へのメッセージ。そのニュートラルな言葉が、患者の不安をやわらげ、あるいは患者家族の迷いに考える切り口を提供してくれるのではないかと思います。推薦人からの「贈与の循環を生み出す取り組みでもある」というコメントにも深く頷きました。(鈴木瞳)
「本人の語り」こそがアイデンティティだと思います。データ化されたものや、他人が書き起こしたものでは伝わらない、声のトーンや間、空気感をそのまま残しているというのは大変貴重だと思います。(菅野恒在)
当団体がモデルとした英国のデータベースDIPExは、Database of Individual Patient Experiencesの略とのことですが、日本の団体名には「健康」という言葉も含んだところにさまざまな繋がりを意図したことを感じます。また語りに対して「ありがとう」が回数非表示でクリックできるのも良いですね。(小澤啓一)
このような活動があるということは、今回の推薦文を読んで初めて知りました。病気や障害を負ったとき、仲間の存在はとても大切だと思いますが、当事者コミュニティなどにアプローチするのはなかなか難しいことも多いと思います。このような形で、生身の人間の言葉を直接見ることができる仕組みは、表に出てくる以上にたくさんの人を救っているだろうと思いました。(朝野椋太)
今回の推薦でディペックスさんを初めて知りました。医学的な知見の蓄積やほか患者の参考情報にとどまらず、語りをする本人にとって病気になった意味を捉え直す非常に貴重な機会だと感じます。活動が少しでも広がることを願い投票します。(松井俊祐)
今回投票したNPO法人健康と病いの語り ディペックス・ジャパンは初めて知りました。団体の活動はとても大事な取り組みですね。団体のHPを見て、推薦文を読むと、当事者が語ることの意味や効果について、その必要性と重要性をあらためて感じることが出来ました。推薦人のお二人に感謝です。(山田泰久)
このようなデータベースが構築されていることを知りませんでした。患者や患者の家族のみならず、医療従事者にとっても有益だと思いました。(清水康裕)
ディペックス・ジャパン「おそらく病気になった方の多くが「なぜ自分が」「自分の何が原因だったのか」と答えの出ない自問自答を行い、それ以前の自分を喪失した感覚を覚えることでしょう。」
「なぜ自分が」「なぜあの人たちは」をこえて「どうすれば、わたしとあなたは」につながる希望に。(本間盛行)この団体のことは知りませんでしたが、疾病体験の本人語りをアーカイブすることは同じ疾病に悩む方にとってとても意義あることと感じました。一方でこれはあまりに当事者性が高いため、何かのきっかけにはなるけど根本的な解決にはつながるものではない。効果が見えにくいからこそ非営利の活動として取り組む意味があると感じました。一票投じます。(宮本聡)
自分や親しい人たちに降りかかる病は、結局のところ運命として受け容れるほかありません。ディペックス・ジャパンのある書籍には、「「病気」としての認知症ではなく、「経験」としての認知症について知りたいと思っている人たちのために」とありました。そこに著された他者の語り、あるいは語り方には、自らの運命を受け容れるためのヒントがきっとあるような気がします。(森康臣)
様々な世界を広げてくれる貴重な取り組みだと感じました(阪本圭)
病気はなったその人にしかわからない。現在の症状や今後の治癒方法等、関わり方や治し方はさまざまだと感じる。傷病者からは病気でない人にわかってほしいとも言えないものもあるし、反面ある程度理解して接してほしいという思いもあるのだろう。何かで読んだが、精神に疾患のある人は人それぞれだと思うが、まずそれを公にできないし、できたとしても「大丈夫」とか「お大事に」というより、「頑張ったね」という言葉が嬉しいらしい。また、「頑張れ」という声掛けは良くないようで「こんなに頑張っているのに」となるそう。健常者には励ましの言葉をもらったとなるのだろうがそうではない。その辛い気持ちや乗り越えてきた方法はきっとその病気に触れ、受け入れ、解決のために奮闘した人にしかわからない何かがあるのだろう。このサイトがより良いものになり、病気になった人はもちろん、解決方法を提供してくれる医者や家族等にも参考となるものになり、より広い世界で双方向での支え合いとなることを願いたい。(赤熊純)
健康や病は、外的にラベリングされるものと、内側から湧いてくる実感の間にある、動き続ける自己像の一部分なのだと思います。
私自身も、自分の病気に対して信頼できるエピソード・実体験としての言葉を探して探して余計にさいなまれたことを思い出しました。どれだけ似ててもどこか違う、当たり前の個別性が突然怖いこととしてやってきます。痛みや違和感、苦しみといった、自分から分かちがたく、また分かり合いにくいものを共有する活動自体がとても贈与的だと感じ、一票投じさせていただきます。(稲垣景子)「疾病(disease)」と「病い(illness)」は区別されるという医療人類学の話がある。ざっくりいえば、前者は診断にもとづく症状のことで、後者が患者の経験のことを指す。私たちはこの間を行き来しながらいかに克服するか、余生を大事に過ごすか、葛藤や諦念などを抱えながら生きることになり、語りや言葉を残す。しかし、それは病いに臥したときにしか私たちは語りに耳を傾けない、ということなのか?そうではないはずだ。おそらくは、不確実であいまいな私の生が、いつか何かしらのきっかけでそちらに反転しうるかもしれない。健康であるということは、生きているうえで奇跡というより不自然なのかもしれない。こうした不可解でありながら、ままならなさを分有する倫理が生まれたとき、病いとともに生きる人は自身の苦悩を決して雄弁に語らず、その意味で理解を越えた他者である一方で、間身体的な次元で自身をも巻き込み、自らの生の不確かさや偶有性を感知させる存在であるとふと気づく。そういう揺らぐ贈与に光を当てたい。(土田亮)
掲載されている語りは、言い淀みをそのままにしているけれど、それでいて、どこか淡々とした語りであるところがいいと思いました。病は誰にでも降りかかる事態でもあるのに、当事者でなければどこか遠くて実態がよくわからないところがあると思います。このデータベースは、それぞれの病に関して、細かなトピックに分けられていて、しかも1つ1つのトピックについては短く区切られていて見やすく、とっつきやすく、良い取り組みだと思いましたので票を投じます。(内藤万裕)
自らの経験を無償で差し出すことは「贈与」であるという視点がとてもしっくりきました!
咳をしても一人(佐々木優)
ディペックス・ジャパンの推薦人です。本団体の活動が、「語り」を通じた疾患にかかわる人たちが中心となる、医療の実現につながることを切に願います。(古川哲)
第一希望は推薦した団体。(漢那宗泰)
こんな団体があったとは。「健康と病いの語り」というタイトルからして、目指したい姿がじんわりと、しかし確実に伝わる気がしました。ぼくはまだ大病を患ったことはないですが、そのときにはきっとこのサイトを開くだろうと思います。活動の継続と拡大を望み、一票を託します。(桂大介)
語ることによって解放される気持ちがあると思います。また、語りを聞くことで見える世界がぐっと近くなる気がします(石田智子)
他人事でないため、病気を語ることは何の意味があるのだろうかと思ったが、他の新しい贈与論会員の方々の意見を聞くに、ただの数字ではない生の病気との向き合いを話す事にも価値があるのだろうなと思い、一票を投じる。しかし、病気の痛みも苦しみも、私のものであり、他者に引き受けさせることも、逃げることもできないものだと、なぜか改めて思った。(泉宏明)
寄合で話題に上がった病気とやまいの違いについての話が、非常に興味深かったです。主観的な体験だからこそ語れるもの、伝わるものがあると思い、投票させていただきます。(原拓海)
病いという主観的な体験の語りは、その語り手が自分語りをするときにアイデンティティの再構築につながると思います。一方で、自分語りの行為そのものや、その語りを他者が観測する際にはある種の「危うさ」も同時にあると思います。そういったリスクもある中で当団体は、研究の方法論や体制を粛々と整えて実行している姿にも感銘を受けました。(榎本大貴)
取り組みに共感して1票を投じます。当事者研究が「語りによって自分の経験したカオスを理解できるものにしていくという作用がある」と本で読んだことがありますが、まさにその鍵となる一人一人の語りをデータに残しておくということに非常に意味があると感じました。難病については語りがないことは課題なのかなと思いましたが、逆に「歯・口の健康と病の語り」などは全員が可能性のあるものなので、予防のためにも今ここで知れてよかったと思いました。(市村彩)
自分に降りかかった病気の経験や感じたことを言葉にする「語り」は当事者のアイデンティティにとって重要なプロセスだと感じました。脚色せずにデータベース化するこだわりにも意義を感じ、投票します。(古賀翔子)
ディペックス・ジャパンは病気を積極的に自分のアイデンティティにしたり発信したりしたくはないけど、何もなかったことにもしたくない、というようなニーズに応えているのかなと思いました。
個別の事情が削がれたつるつるの医療情報ではなく、誰かを危険にさらすリスクのあるぐちゃぐちゃの主観でもなく、丁寧に手渡されるべき独特のかたちをもつ語り、それを時間をかけて作られている活動を応援したく思います。(加藤めぐみ)
「わかりあえなさ」を語ることは「わかりあえない」ことを共有すること、という言葉が響きました。(中村雅之)
新しい贈与論は今後も共同贈与という形の寄付を毎月続けて参ります。ご興味のある方はぜひご参加ください。
運営
法人名 一般社団法人新しい贈与論
代表理事 桂大介
設立 2019年8月1日
ウェブサイト https://theory.gift
連絡先 info@theory.gift
メディアキット ダウンロード
「新しい贈与論」は寄付や贈与についてみなで学び、実践してゆくコミュニティです。オンラインの交流をベースに、時折イベントや勉強会を開催します。個人主義や交換経済が蔓延り、人間や人間的関係がますます痩せ細ってゆく現代において、今一度、贈与という観点から社会について考え行動する場をつくりたいと思います。