新しい贈与論は、注文に時間がかかるカフェに91.5万円の寄付を行ないました。
新しい贈与論では毎月会員の投票により宛先を決定する共同贈与を行なっています。今月は「音」をテーマに推薦を募集し、「クワイエット・パークス・インターナショナル」「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」「注文に時間がかかるカフェ」の3候補があがり、白川みちる、市村彩の推薦した注文に時間がかかるカフェが最多票を得ました。
推薦文は以下の通りです。
https://peraichi.com/landing_pages/view/kitsuoncafe
「音」を考えたとき、音楽からのライブハウス、ホワイトノイズ、騒音、雷音、鐘の音…私たちはさまざまなことを連想しました。最終的に行き着いた音は「吃音」でした。
「吃音」は、身体が言おうとした言葉を音にしてくれない発話障害のひとつです。幼少期から始まる場合もあれば、成人後の心理的状況によって引き起こされることもあります。「言い換え」によって症状としては見えなくなっている「隠れ吃音」の方も含めると、全国で約120万人が吃音を持っているとのことです。
三島由紀夫の『金閣寺』など様々な文学作品でも描かれる通り、吃音は昔から棄却すべき汚点として認識されてきました。
そんな中、「注文に時間がかかるカフェ」という社会によって奪われた吃音を話す機会を創出する取り組みがあります。ここでは、吃音というハンデを抱えた方々がカフェ店員にチャレンジできる仕組みがあります。例えば、思わず「頑張れ」と言ってしまいそうになる話し方に、「緊張して吃っているわけではないので、アドバイスしないでください」などのルールが設定されています。こうした仕組みによって吃音の当事者たちの安心が担保され、来場者との交流によって自信を得ることができ、来場者は吃音への理解を深めることができます。結果に完璧を求めずとも、経験によって得られる自信に注力しているとのことです。
実際にカフェの店舗が存在しているわけではありません。収益活動もなく、例えばコーヒーをこぼしてしまったり、どもってしまってもクレームが来ないようにと全て無料で提供されています。主宰者の奥村さんは、現在は会社を辞められて吃音理解を深める仕事一本だそうです。活動資金はサポーターコミュニティの会費によって賄われています。
活動当初は吃音当事者から「吃音がバレてしまう」という批判のメールがたくさん届いたそうです。吃音が隠すべきこととされる社会のスティグマの存在を象徴するエピソードです。今ではそのようなメールは届かなくなり、むしろカフェの存在から吃音の理解が深まったという方も増えています。
「注文に時間がかかるカフェ」でゆったりとした刻を過ごしながら、当事者の方々と触れ合い、吃音という音をもっと一般的なものにする取り組みを応援してみてはいかがでしょうか。わたしたちは吃音という社会からかき消された音をもっと一般的なものにする取り組みを応援したいという思いのもと、「注文に時間がかかるカフェ」を推薦します。
参考:
国立障害者リハビリテーションセンター研究所: http://www.rehab.go.jp/ri/departj/kankaku/466/2/
投票にあたり会員よりあがった理由の一部を抜粋し紹介いたします。
伊藤亜紗さんの「どもる体」を読んで、吃音やそれを通した社会について考えていた時がありました。体から乗っ取られてる音が、カフェとしてリズムがノる社会としてこれからなっていくのなら、ぜひ応援したいです。(土田亮)
障害を抱えた人との接触をトレーニングとして体験できるのはとても有意義な事だと思うのでこちらに投票させていただきました。吃音に限らず様々な障害をお持ちの人々といざ街中で出会ったとして、適切な対応ができるとも限りません。今回のケースで言えば「アドバイスしてはいけない」等のルールを私は知りませんでした。このように障害は当人だけではなく社会の周りの人々にも適切な知識とトレーニングが必要だと思うので、このような施設がどんどん増えてくれればよいなと思いました。(三上遼)
この中では吃音を一般的なものにする取り組みが、社会の課題として最も重要性が高いと感じられました。(清水康裕)
注文に時間がかかるカフェの推薦人のひとりです。理由は、推薦文のとおりです。(白川みちる)
注文に時間がかかるカフェがずっと気になっていたから。
吃音は自分の生きる日常の中では出会う数は多くはありません。小さい頃に出会った人の中に吃音の人がいた記憶があります。そのときには「なぜこの人は普通に喋れないんだろう」と幼いながらの疑問を持つことがありました。そこから学生、社会人になり吃音という存在があることを初めて認知したのですが、その存在を認知しなければきっと偏見を持っていたと思います。それは日常の中にあふれる接客業をはじめとした職業から排除されてきたからなのではないか。「吃音」と日常的に触れる機会が触れる事自体が、人々の理解と、気づいたら当たり前になっている安心感が出される場が増えると少しずつ社会は「当たり前の日常」の範囲を広げることができるのではないかと思い、「注文に時間がかかるカフェ」を希望します。(繋奏太郎)
カフェは着想が素晴らしい。活動も知らなかったし、広がってほしい。(渡辺健堂)
吃音の人が近くにいて、何か治せるんじゃないか、とか当時は考えておりました。ただ、調べると治る治らないとかではないと知りました。治るのではないかと思っていたこと自体、もしかしたら私自身が受け入れるということが出来ていなかったのかもしれません。その人やその状態を、こちらのロジックを押し付けて考えるのでなく、受け入れる機会をもっと増やしていくことが多様性であり、寄付の意義かなと思いました。(鈴木健人)
以前ニュースで注文に時間がかかるカフェを見かけて、取り組みに興味を持っていました。(言葉選びが難しいのですが)外から見えない障害だからこそ、当事者は孤独だったり、モヤモヤを抱えがちなのではないかと思います。贈与によって壁に1つでも通気口が開くといいなと思います。
吃音の存在を推薦文で初めて知りました。聞き手・話し手が寛大な世界が広まるといいなと感じました。(横山詩歩)
注文をまちがえる料理店は存じ上げていましたが、時間がかかるカフェは今回初めて知りました。ただ支援するだけでなく、カフェの利用者にもルールが敷かれていて活動に参加できる点が素敵だと感じました。ぜひ全国行脚で近くに来た際に子供を連れて訪問してみたく、活動が続くように選ばせていただきます。(松井俊祐)
いちばん全力で「音」に意識を向けるのはどれだろう?と考えた順にしました。「注文」が入る以上、そこに主として関わらざるをえない自分がいるはずなので、他に比べ逃げ場がないはずと考えました。音は、言語も、音楽も、自然の音も、自分意外の他者と関わる大きなツールですが、耳以外からも「音」を感じているところは大きいはずと感じています。(金野潤子)
うわあ、選べない。えいや笑(森康臣)
活動を始めた際に当事者の方から寄せられた意見を見るにつけ、吃音を持っている方と社会との関わりあるいは隔たり、壁を感じます。そんな中で地道に努力を続けられている注文に時間のかかるカフェ、を第一希望にしました。私自身は専門ではないものの徐々に関心が高まっている分野でもあります。(金子遥洵)
自分自身がどちらかというと音に敏感であるため、今回はどの3つも素晴らしいものに映り、かなり迷いました。「注文に時間がかかるカフェ」を選んだのは、吃音に対する偏見が仮に昔と比べて減ったとしても、今度は「コミュニケーションスキル偏重」という現代のトレンドがきっと当事者の方にとって新たに大きな壁となって立ちはだかっているだろうと感じたためです。日本人が英語を話すときには「大事なのは言葉じゃない、伝えたい中身があれば多少つたなくてもゆっくりでも良い」と教わってネイティブの前で緊張して話したりしますが、これを母語同士の対話でどこまで当てはめて、相手によりそって耳を傾けられているでしょうか。
吃音の知人がいるので「注文に時間がかかるカフェ」を応援したいと思いました。(溝口奈緒美)
社会に存在する溝は、その多くが当事者の方と接した経験があることと、対応方法を知っていることで、乗り越えられるのではないかと感じます。どこか定まった場所にあるカフェではなく、北海道から鹿児島まで、全国を移動しながら活動されているのもいいなと思いました。(吉見新)
「カフェの存在から吃音の理解が深まった」という空間を私も経験しに伺ってみたいです。(守屋まゆみ)
「吃音」というテーマは、ずっと気になりつつもあまり積極的に調べず生きてきました。今回改めて社会的な弊害や個人としての悩みの深さに触れ、これは社会が向き合うべき課題だなと感じたからです。触れる機会を増やし、少しでも社会的な受容が進むことを願います。
もっとも寄付が必要と思える団体を選択しました。(田中宏幸)
自分も思春期に吃音で悩んだときあったので共感しました!
吃音という社会からかき消された音、というのが印象に残りました。このように、社会に当てはまらないいろんなものが消されていっているのだと思い、そういったものをもう一度呼び起こして混ぜてみたいと思いました(石田智子)
「注文に時間がかかるカフェ」の手触り感や温かさに一番惹かれました。”そこに居合わせる人たちの機嫌の良さや和やかさ”が心地よく聴こえてくる気がします。(小澤啓一)
吃音当事者の方が立ち上げた団体で、コンセプトが絶妙で素晴らしいな、と思いました。「障害」という概念自体を考え直させるような試みかもしれない、と思いました。多くの方に知ってもらいたい団体だと思いました。(坂本治也)
注文に時間がかかるカフェは、SNS等で存在は知っていたものの、常設店舗でなければ、無料でドリンクを提供されていることを知り、どのような経緯でこのカフェの運営形態に至ったのか、この寄付をきっかけに詳しくお話を聞いてみたいなと思いました。また、当事者の方が運営するというのは、ご自身もご苦労があるなかで、とても大変なことだと思います。しかしながら、そのような団体が知られることで、当事者から始めるお店、運動などが身近になればいいなと願いを込めて。(東詩歩)
どの寄付先も魅力的で悩みましたが、最初に決めたとおりの順位にしました。活動を応援したいと思います。(中川瞬希)
推薦人です。伊藤亜沙さんの「どもる体」という本のエピソードで、吃音の症状が出なくなった方が精神を病んだことをきっかけとして、吃音の話し方に「戻ります宣言」をした、という話があり衝撃を受けました。自分の中にある吃音への捉え方を見透かされたように感じました。私は中学生の頃まで話すのが遅く、よくいじられていたのでコンプレックスに思っていました。ただ自分にマルを出してあげることさえできれば、どんな話し方であっても良いのではないかと思います。注カフェは前職の代表が隠れ吃音で、その方を通して知っていた団体でもありました。参加者にもルールが敷かれていて安心できる環境で成功体験を積めることは、時に当事者の人生を変えるパワーを持つと感じます。(市村彩)
個人的には三つ巴でしたが、①財務の規模と寄付額のバランス、②コンセプトが好み、の2点から第一希望としました。(佐々木優)
新しい贈与論は今後も共同贈与という形の寄付を毎月続けて参ります。ご興味のある方はぜひご参加ください。
運営
法人名 一般社団法人新しい贈与論
代表理事 桂大介
設立 2019年8月1日
ウェブサイト https://theory.gift
連絡先 info@theory.gift
メディアキット ダウンロード
「新しい贈与論」は寄付や贈与についてみなで学び、実践してゆくコミュニティです。オンラインの交流をベースに、時折イベントや勉強会を開催します。個人主義や交換経済が蔓延り、人間や人間的関係がますます痩せ細ってゆく現代において、今一度、贈与という観点から社会について考え行動する場をつくりたいと思います。