このブログでは共同贈与コミュニティ「新しい贈与論」から、
コミュニティ内で交わされた対話の断片をお伝えします。
ボランティアとは、自己の労働力の贈与である。対価としての金銭を得るのではなく、やりがいや貴重な経験を得ることができる。今夏行われる予定の東京オリンピックでは、8万人という大規模なボランティアを募集していた。炎天下の労働で日給1,000円という薄給さに「やりがい搾取だ」という批判もあるが、ボランティア希望者が満足する経験を得られると考えれば、立派にボランティアの関係性は成り立っている。厚生労働省の調査では、行政やボランティアセンターなどで把握しているボランティア活動者数は707万人(平成29年)いるとされているが、総務省の調査では、「ボランティア活動」の行動者数は約2,943万人(平成28年)いるとされており、日本の最大23%の人が1年に1度以上ボランティア活動に参加していることになる。
2001年にボランティア活動推進国際協議会(IAVE)によって発行された「世界ボランティア宣言」では、以下のように述べられている。
世界のすべての人々は、経済的な見返りを期待することなく、個人的、集団的行動を通じて、時間と才能とエネルギーを他人や地域社会に自由に提供する権利を有するべきである。
ボランティアは自らの意思によって社会貢献を行い、その過程でかけがえのない経験を得られる活動とされている。ただ広義には「落ちているゴミを拾う」のような身近な例もあれば、「友人の会社を無料でコンサルする」のような副業に近い活動も含まれるだろう。
コミュニティでは、実際にボランティアに参加した人の内容や動機が話題となった。
災害ボランティアに参加しました。きっかけは、たまたま会っていた知人がその足で現地に行くというので同行しました。偶然です
地域の清掃活動や、小学生のプログラミング学習サポートをしました。そうした募集が地域コミュニティや知人経由であったからで、実際には誰かがやらないと立ち行かない... という状況が多かったので、仕方ないからやるという意識が強かったですね
小中学生の時に地域の清掃はしてましたが、自主的というより強制的にやらされていた感があります
きっかけは様々だが、地縁や知人が動機となって参加するものが多い印象がある。しかし、誰かがやらざるを得ない状況であったり、地域の目が気になるので参加せざるを得なかったりと、自主性という点が曖昧な活動も多いようだった。自分も振り返ってみれば、地域の資源ごみ収集のお手伝いを行ったことがあるが、所属している野球部全員が参加必須だったので、自主的な活動ではなかったと思い出した。ボランティア宣言の掲げる理想からは、幾分乖離があるのが実態のようだ。
またボランティアが無償であることについては、以下のようにさまざまな意見があがった。
賃金を介さない分、お互いに求めるものにズレが生じやすいのかなと思いました。ただ、ボランティアをする側としては、労働に対する等価交換でないことの心地よさみたいなものもある気がします
やりたいことと経済的報酬と社会的意義が合致してるケースは非常に少ない気がしてて、その意味ではボランタリーで何かをすることで、自己のアイデンティティを保ったり、社会の中の存在意義を確認できると言うことはありそうですね
やりがいを優先し無償や安給で働き続けた結果、経済的に困窮したのですが、ちゃんと収益考えるようにしたら、かえって好きな仕事が選べるようになった
私自身はお金をもらうなら、それなりにと負荷に思ってしまうので、無給がうれしいです
無償でもやりたいことより有償でも絶対にやりたくないことの方が多い気がします
多くの仕事は有償であるがゆえに、一定の能力水準や果たすべき責任・貢献が求められ、業務領域も限定されることが多い。一方で、無償であれば気持ちや責任の面において、気楽に行うことができるのだろう。目的が金銭なのか得られる経験なのかによって、同じ仕事でも捉え方が変わるのは面白く、主目的が金銭でなかったとしても、結果的に収益がついてくることも往々にして起こりうる。
最近では、プロボノやインターンなど、ボランティアとの境目が曖昧な概念も多く存在する。もし悪意のある事業者がいたとしたら、情報格差や情動的共感を利用して、「ボランティア」という名目のもと最低賃金以下で労働させる「搾取」を行う可能性も秘めている。それが国家レベルとなれば、戦時中を彷彿とさせる「動員」にもなりかねない。ボランティアは元来幅が広い言葉であるが、それだけに野放しに使われてしまう危険性も認識しなければならない。
コミュニティメンバーからは「“ボランティア” という言葉に色がついちゃっているので、もし該当したとしても無意識にさけてしまう」という意見もあった。ボランティアはラテン語のボランタスvoluntās(自由意志)を語源としており、強制や義務とは真逆の性質を持つ言葉である。東京オリンピックのボランティアも、経験や喜びを求めて自発的に参加し、くれぐれも「搾取」や「動員」とならないようなボランティア活動になることを期待している。
AUTHOR
中垣智晴
webサービスを運営するベンチャー企業に勤務中。並行して、Artist in Residenceの運営などを行なっている。地域づくりに興味があり、大学時代は鳥取と島根を中心に視察の日々。将来は地域の廃校をリノベーションして、塾とゲストハウスをやりたい。アートと日本酒とクラフトビールが好き。ギターを片手に放浪したい。